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前回に引き続きGWの帰省のときのお話しです。

私の実家は静岡の田舎町にあり、父が若い頃までは材木屋を営んでいました。
住み込みの職人さんや女中さんがいたと聞いているので町内ではそれなりに大きな会社だったようです。(当時はそれが普通だったのかも知れないけど)
家系は江戸末期まで遡れるらしいけど、別に普通の家庭です。

ところで実家には古いお蔵がふたつあります。もう何年も入ったことがなかったのですが、GWに帰省した際に父に「見てみるか」と持ち掛けられ、10年以上ぶりに入りました。

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↑お蔵を側面から見たところ。こうして見るとぼろいなー。

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↑正面は鉄格子の引き戸と観音扉の二重扉。ただし観音扉は閉まっているところを見たことがありません。

入口付近には私たちが子供の頃遊んだスキー板や凧などが無造作に置かれていましたが、昔の記憶以上に奥が広く、よくよく見ると古い箪笥や長持ちがたくさん並んでいます。
文学書や哲学書などの見るからに古い本が積んであったり。
さらに二階へ上がると、かつて会社で使われていたであろう家財道具類がどっさり。
火鉢や煙草盆、冠婚葬祭で使うお膳の類。燭台に鏡台、ここにも桐箪笥が。
とにかく古いもの、とくに日常の道具類が大好きなのでテンション上りっぱなし!

道具ではないけれど、中でも面白かったのがこちら。
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「新案教育出世双六」
イラスト付きなので当時のリアル(もしくは子供に見せたかったリアル)が見えて面白い。
図書館や資料館にありそうなこの双六、よくよく見ると…


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明治32年に発行されたものでした。すげー。
詳細は分からないけれどどうやらお蔵自体は明治に建てられたらしく、その当時から眠り続けているものがたくさんあるんですね。
明治の建物って。。。ぼろいわけだわ。

他にも喪服用と思われるボンネとグローブのセットが出てきたりすごく面白かったんですが、お蔵に入った目的は他にありました。

父曰く、おばあちゃまの着物があるとのこと。
おじいちゃんが亡くなった際に一緒に整理してしまったと聞いていたので、もう残っていないものとばかり思っていました。
(その時は私は高校生だったので遺品整理には参加していませんでした)

確かに晴れ着の類は残っていなかったけれど、銘仙などのお洒落着でかわいいものがたくさん!
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写真はほんの一部です。

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なかでも気に入ったのはこちらの夏着物と夏帯。本当にセンスがいい!

どれも袖丈はけっこう長め。
袖丈(そでたけ)は袖口から袂までの長さ。
振袖を思い浮かべていただくと分かりやすいと思いますが、一般的に若い女性ほど袖丈を長く仕立てます。
これは揺れる袖がかわいらしさを演出するためで、既婚女性は身を慎む意味で袖丈の短い着物を着るものとされてきました。
だから既婚女性の正装は「留袖(とめそで)」と言うんですねー。
もちろん、若い女性でも家事をするときなど日常着としては袖の短いものも着用されていました。
そでたけ
以上、着物のマメ知識でした(・∀・)




おばあちゃまは私たちが生れる前に亡くなっていて、写真でしか知りません。
愛知の良家の生まれでとても立派な人だったそうで、イメージでしかないけれど憧れの女性です。
初めて目にするおばあちゃまの着物は、どれもおしゃれで上品なセンスのものばかり。
着物とは無縁の家庭に生まれ育ち身内から受け継ぐものは何もないとばかり思っていたので、突然目の前に現れた宝の山に正直動揺していました。
自分と血の繋がった人が着ていた着物。恐らくはそのさらに親が娘のために仕立てたであろう着物たち。
愛知のお屋敷からのお輿入れの折、おばあちゃまはどんどん山深くなる周りの景色に不安になったと話していたといつか聞きました。自分は一体どんな田舎に嫁ぐのかと。
それでも、お嫁に来た時の不安も、子供たちと過ごした時間も、孫たちが生れた喜びも、着物に秘められているように感じました。
着物が生きている、と感じたんです。
文字通り時代を超えてあたしの元にやってきた、生きた着物たちを手にして眩暈がしそうだった。

着物を受け継ぐって、こんなに素晴らしいことなんですね。
初めて身をもって体験して、改めて人様から譲っていただいた着物や日頃販売している古着の着物たちも無下には扱ないなぁ…と肝に銘じました。

お蔵から発掘した着物たちは間もなく京都に届きます。
ゆっくり会えるのが楽しみ(^^)